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ちょっとなあ~。

ワタクシ、書くのはよそうと思っていたのですが。

最近、以下のような記事がもてはやされています。

「一事不再理が争点に」…三浦元社長弁護人が指摘
【サイパン=山下昌一、ロサンゼルス=藤山純久】1981年のロス疑惑「一美さん銃撃事件」を巡り、米自治領サイパンで逮捕された元輸入雑貨会社社長、三浦和義容疑者(60)の弁護人に選任されたブルース・バーライン氏は1日、報道陣に対し、「事件当時のカリフォルニア州刑法では、(同じ犯罪で2度刑事責任を問われないという)一事不再理の原則が外国の判決にも適用されていた」と指摘した。

 その上で、2003年3月に日本で無罪が確定している三浦元社長を再び同州で裁けるかが、今後の争点になるとの見方を示した。

 米国の多くの州では、一事不再理の原則は州内のみに適用され、外国で判決が確定していても、同じ罪で再び裁くことが可能だ。しかし、カリフォルニア州の刑法には04年まで、他の州や外国で判決が確定した場合は再び裁判にかけることはできないという、被告に有利な規定があった。

 ところが、同州では近年、隣接するメキシコへの凶悪犯の逃走が社会問題化。ロサンゼルス市郊外で警察官を射殺した容疑者がメキシコに逃亡した02年の事件を受けて、04年9月に州刑法が改正され、外国での裁判については一事不再理の原則が及ばなくなった。これが、ロサンゼルス市警が三浦元社長の刑事責任追及に再度乗り出すきっかけにもなったという。

 ただ、一美さん銃撃事件の発生や三浦元社長の無罪確定は改正前。米国では日本と同様、法制定前の事件については、さかのぼって罪に問う事ができないという「刑罰不遡及(そきゅう)の原則」が憲法で定められている。

 バーライン氏は、「(弁護人という立場から)改正法が過去にさかのぼって適用されるかどうか研究中だ」とし、カリフォルニア州への移送の是非を判断するサイパンでの審理や、移送後の同州の法廷では「この点が大きな争点になるだろう」と述べた。

 04年の法改正が、一美さん銃撃事件にも及ぶかどうかについて、ロサンゼルスにあるロヨラ大学ロースクールのローリー・レベンソン教授は「激しい議論になる。司法判断を仰ぐしかない」と語る。

 一方、事件当時の米捜査関係者は、三浦元社長が、殺人容疑だけでなく「共謀罪」でも立件されている点を指摘。「共謀罪は日本の法律にはなく、いまだに裁かれていない犯罪として、こちらで裁くことは可能だ」と話している。

(2008年3月2日03時08分 読売新聞)



…ふ~。
この記事を読んで、なにやら一流の評論家にでもなったかのような誤解を持ちつつ、話にならない論説を書いている方が、ブログなどに登場して、非常に疲れたので、私も書いてみよう思いました。




大体、ね。
原則的には、だよ?
厳格に法的な解釈をしたら、だ。

そもそも、何で「一事不再理」が「刑罰不遡及の原則」の問題(対象)になるのだ?

原則的な解釈から考えれば、ワタクシにはさっぱり分からんね。


本来は。

「一事不再理」の条文は、「刑罰不遡及の原則」とは、制度趣旨において、似てはいるけれど厳密に異なっている。

「刑罰不遡及の原則」とは、簡単に言えば、ある行為が行われた時には、その行為は法に照らして適法とされていた場合、後の制定法規によって立法前の行為が「処罰」されることを禁止する原則。

ここで「処罰」とあるから、今回のことでも素人さんはごちゃごちゃになっているのだが、「処罰」とある以上、これはある行為(と結果)を禁止し、処罰を定めた規定(刑罰規定)が適用されることを意味する。


これに対して、「一事不再理」は、別名「二重の危険の法理」といい、同じ犯罪事実について、重ねて刑事処罰を受けないこと。
「あれ?おんなじじゃん!」と思ったそこのアナタ。
この「刑事処罰」の意味は、審理対象となっている同じ事実について、法廷で「犯罪じゃない?」と重ねて審判(実体審理)を行ってはならないという意味で、こちらはあくまで「審理規定」の適用(訴追条件ともいえる)を意味している。


…つまり、だ。

「刑罰不遡及の原則」は、犯罪の成立(構成要件該当性判断の時限的限界)という犯罪の入り口(実体法上)の問題であるのに対し、「一事不再理」は、犯罪成立と処罰の実体審理開始条件という犯罪の出口間際(手続法上)の問題で、そもそも適用場面が異なっているのだ。

この両方の規定について、日本国憲法(39条)と同様、アメリカ合衆国憲法にも規定がある(『刑罰不遡及』について第1条第9節第3項、『一事不再理』については、『二重処罰の禁止』として修正第5条)。

刑罰不遡及については、最も分かりやすく、「遡及処罰法なんか作ったらアカン!」と書いてある(笑)。

※一事不再理については、日本国憲法のも合衆国憲法も、条文では「二重の処罰の禁止」である。合衆国の場合、罰則と名の付くものなら行政罰にまで広げられそうな感じだが、解釈論として裁判権のことを意味するものとされているそうだ。

※「一事不再理」の制度趣旨は、「二重の危険の禁止」といわれる。語弊はあるものの、これは、「自分の行為について処罰を受けるかもしれない危険な手続については、一度くぐれば十分」…ということから認められている。これそのものを二重の危険の法理ともいうことがある。これに対して、「刑罰不遡及」の制度趣旨は、罪刑法定主義の自由保障機能から派生している…といわれる。つまり、最初から禁止行為が分かっていないと、「ワ、ワシ…これやってもええのん?」という疑心暗鬼になってしまい、自由に行動できなくなってしまうことを無くす意味がある。だから、後で禁止法が出来ても、「『今後は』アカンで!!」という意味になる。



今回の場合、どうだろう?

殺人行為について、あの当時、カルフォルニア州は、刑罰規定として存在していなかったなどというお茶目な州だったのだろうか?

勿論、そんな訳は無い。
今も昔も、立派な違法行為だ。

だから、刑罰規定の変更によって後から処罰しようとしているわけではない。

また、州法の一事不再理規定は、処罰規定ではない。
どこにも禁止行為も刑罰規定もない。
審理開始の条件が書かれているだけだ。

そもそも、裁判は、「処罰すべきなのか?」を実体的に判断する公権力の作用だから、処罰そのものではないのだ。

たとえ事実上苦痛の極みであったとしても、だ。

百歩譲って「処罰」と同じだとしても、それは無罪が確定した時であって、審理に入る事を全て処罰などと同列に並べる行為が、そもそも取り違えている…というのが建前だろう。

また、一事不再理の対象は、同一司法権の範囲内においての話で、主権国家が違えば話が違う。これを同一視する規定が無くなったからといって、不当視するのはいかがなものか?

刑法の属人・属地両主義の問題もある。


だから。
本来は、「一事不再理」規定の改正時期に対して、「刑罰不遡及の原則」を適用して、審理に入る入らないなどということを考えるのは、そもそも次元が異なる話をごっちゃごちゃにしている、ということができる。


しかし。
「自分はもうアメリカでは審判を受けない」と信じるに足る立法状況があったのに、後で改正されて審判を受けることになってしまった…これは、刑罰不遡及の法理と同じ危険構造ということもできるし、実質的に遡及して処罰ということもできるから、州法の一事不再理規定の変更時期に対しても類推適用すべきだ、という議論は、当然出来るだろう。

もし、このような主張で問題になるのであれば、確かに議論できるかもしれない。

しかし、このような法的な趣旨すら考えず、全て新聞の論調だけで知ったかぶりして好き勝手書くと、やっぱりちょっとなあ…と思える。


何しろ、弁護士ですら、これをごちゃごちゃにして説明していたからね~(怒)。

※朝見た限りでは、きちんと説明していたのは、たった一名だった(汗)。

by uneyama_shachyuu | 2008-03-03 23:55 | 時事