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オタクはオタクらしく!

題名のとおり、たまには…でもないか。
いつもどおりいってみよう~!(笑)

k_penguinさんのブログ、ペンギンはブログを見ないにもコメントさせて頂いたけれど。

今の日本のアニメ監督って、下手くそだよな~。



簡単に言えば。
ストーリーの詰め方を知らないと思う。

何でもかんでも詰めたがる。

最近の特徴。

時間は、最近のアニメは大体90分というのが多いんですが、詰め込みたいことに強弱をつけずにどんどん詰め込む癖がある。

だから、勢い話が平板のようで、ちっとも盛り上がらない。

そして、もう一つ。
スタジオジブリが流行らせた傾向だが、プロの声優さんではなく、有名俳優やアイドルを使う。

別に悪かないけど、中には聞くに耐えないものもあるよな~。

プロの声優のみだったのは、Zガンダムくらい。もっとも、これは他の声優を当てるとファンが激怒するからというのが大きな原因だろう。
※実際、劇中の「フォウ・ムラサメ」の声について、TV放送時の島津冴子さんに「何故かオーディションの知らせが全く届かなかった」という事態となり、別の人が声を当てたが、これがその後ファンのとんでもない批難となって製作会社に殺到した。おかげで、それが本当は「製作者の策略」でわざと島津さんに役が周らないようにしていたという真相がばれてしまい、かなりの騒ぎになったらしい。

他には、銀色の髪のアギトとかブレイブ ストーリーなどは、役者の面では大丈夫な方ではあるものの、とにかくストーリーが詰め込みすぎか省きすぎの感がしてならなかった。


時間的な面、俳優の面で、流行りは流行りで、その二つを満たしてはいるものの…

そういうものの中で、ここ数年で見た中でダントツだったのは、今敏監督の「東京ゴッドファーザーズ」だけですね。

東京ゴットファーザーズ

題材が良いし、演出も最高!
この人が実写を撮ったら…おそらく、今の監督さんたちには撮れないものを作りそうです。



概して。
詰め込みすぎたりする監督さんは、ワタクシと同様、アニメを見て育った同世代なんですよね。

だから、彼らの手法は、昔見たカッコいいシーンの切り張りに過ぎない、と思える。

彼らは、同時にデジタル世代でもある。
コンピュータが発達した時代の真っ最中に生きているので、アニメの絵も実写のデータも全てコンピューター上では同じ「データ」として扱うのが普通になっている。

確かに、これだと色々なものが一緒の土台で作れるという利点がある。

しかし、どれもただの「データ」ゆえに、優先順位…思い入れのようなものが全て同じように平均化してしまう。ここ!という売りが無くなってしまうような気がする。

それゆえ、どれもこれも入れたいシーンになってしまい、実にデジタルな感じがするんですよね。

だから、何が一体やりたかったのか、よく分からないものが出来上がる。
映像美は、確かに素晴らしいんですけどね。



アニメばかり見るのではなく、物語を書くとかして、それぞれの想像力が無限大に広げられるような訓練をもっとしないといけないのではないかなあ、と思った、今日この頃です。
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-25 22:39 | 小人閑居

売れるかもよ~!

最近よく流れている…と言っても、11月に入ってからは、あまり流れていないCMですが、ポッキーのCMの女の子、弾けていますねぇ!

この子、売れるんじゃないかな?

LesPros Artists 新垣 結衣

新垣結衣出演 ポッキーチョコレートCM「ダンスダンス篇(45秒)」

ポッキー極細CM 「はじける極細篇」(30秒)


CMが始まった頃から、あんまりイメージとは違う(『東大は簡単だ!』と阿部寛が叫んでいたドラマには茶髪の勉強ができない子の役で出ていた)ので、あまりの弾けぶりにビックリしたのだが。

…18歳か~。若いな。



いえね。
別にロリコン趣味…ではなく、こいつは売れる!と思う若手を見るのが好きなんですよねぇ。

いえ、若手、それも女の子に限らず、老若男女個性豊かなな役者さんが好きなんですよね。

だから、自分は知っているがテレビしか知らない人は知らない役者さんが大河ドラマに出ていたりすると、一人ほくそえんでいたりする(笑)。

↑先日、ある若い女の子と話していて、「玉木宏ってええよな~」と話したら、最初、思いっきり凍りつかれた(汗)。ワタクシ、「ホモでもロリコンでもないぞ!美男美女が好きなのよ~。鏡の自分を見るよりも『景色』がよろしいではないですか~」と言ったら、今度は思いっきり爆笑された(大汗)。何故だ?!ちなみに、その子の好みは、何故か竹中直人と西村雅彦だった。よく「そうか!『ハゲ』か!おまえの好みは『ハゲ』なんだな~?!」と断定されるそうだ。やれやれ(笑)。



で、これが大切なんですが、売れそうな若手は、結構外さない。

ワタクシ、高校入りたての池脇千鶴さんを見て、これは主役を張る!と断言したら…友人一同に笑い者になった。失笑の的だったりした。今、そんな事を話せば、ヤツラは恥ずかしがるのだか(笑)。

その他にも、外さなかった人たちも数々いるんですが、ただ単に、ワタクシが『監督』なら絶対使いたいよね!と思う人を挙げていったら、まあ年数には違いはあるけれど、割と高い確率で大体売れているんだなあ。

その立場から見る基準は、たった一つ。

代替性があるかないか?

これだけだという事に気が付きました。

簡単に言えば、代わりがいない(代役が立てられない)役者さんですね。

もし代わるとすれば、脚本も変えないといけなくなるんですよね。




…ただ、新垣さんの場合、2000年代の若い美人という感じだな。

というのも、この人のタイプ、綾瀬はるかさんや長澤まさみさんの系統であることも間違いなく、ある意味、個性が無くなる可能性もあると思う。

実際、長澤まさみの第一印象は、「このままだったら没個性の美人で終わってしまうかも」だった。ただ、抗えない魅力も感じはしたけれどねぇ。

これからの変化が、一番楽しみかもしれませんね。
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-22 20:43 | 小人閑居

事件は司法書士「以外」から?!

最近よくあるのは、司法書士以外の士業の方が、軽々しく登記その他の事について、「あ、それで大丈夫です!」などと安請け合いしてしまい、何故か慌てふためいてうちに来る、という事。

…実にうかつな回答だと思う。
というのは。

別に司法書士に限った事ではなく。

士業は、軽々しく「出来る」だとか「大丈夫」だとか「勝てる」などと言ってはいけないのです。

特に、弁護士さんなどで、こういう癖がある人は、注意が必要だと思います。
というのも、争いごとには落とし穴も付き物なので、相当の確率でも「油断しないように」と石橋叩くことが必要だからです。


今日、初めて知ったのだが。

商法改正って凄いなあ。



商法の中でも、会社に関わる部分は、全て削除され、新たに会社法が出来たのです。

しかし、この会社法。
商法時代とは、立法趣旨が全く異なっていると思います。

つまり。
商法時代は、原理の通り『大会社』を想定し、会社法は小会社もしくは零細企業を前提としていると思います。



さてさて。
みなさん、会社の取締役って、どんなイメージですか?

いわゆる会社の経営者というところでしょうか。

法律的には、法人(会社)の意思決定を行い、それに従って業務執行を行う機関(取締役会、代表取締役)又はその構成員であって、株主(総会)によって選任され、法人(会社)と『委任契約』をした者ということになります。

つまり、確かに経営は行いますが、あくまで会社と株主に経営を『委託』された関係でしかなく、勿論、会社の持ち主ではないので、そこは勘違いしてはいけません。

ところが、会社の内部では、やっぱり支配者と感じるんだよねぇ。

法律家の立場からは、その取締役が『株主』で無い限り、所詮、委任関係に過ぎないという感覚がある。

つまりは、プロはプロでも、経営の『職人』というのが、本来の姿なのです。


今日、面白い事件がありました。

会社内部の事情はお話しできませんが、色々とはしょって説明すると…

ある代表取締役をクビにしたい!それも、取締役会も株主総会も「開かず」に!

という依頼なのでした。


株式会社の経営の意思決定機関は、取締役会です。
会社の基本的意思決定機関は、株主総会です。

この関係は、政府が取締役会、立法機関が株主総会、ということになります(※ちなみに、司法は監査役、監査役会です)。

そして、代表取締役は、会社の「代表者」であり、業務執行機関です。

つまり、経営意思決定は取締役会で行われ、それに基づいて会社の業務を執行するのが代表取締役です。

「代表」とは、その地位に基づいて業務執行を行えば、それイコール「会社の行為」と看做される関係であり、語弊はありますが、会社の「代理人」と言っても間違いではありません。
ただ、代理人と違い、「会社の行為」そのものと看做されるほど密着した関係です。

丁度、国家元首と同じ立場だと言って良いでしょう。


そして、会社の代表権を持つのは、『取締役』だけが、その資格者なのです。

つまり、代表取締役の前提は、取締役になる事なのです。



さて。
取締役は、株主総会によって選任されます(会社法329Ⅰ)。

だから、代表取締役を会社から完全にクビにするのなら、株主総会によって「取締役」そのものの地位を解任してしまえば良いのです。

ところが。
この株主総会の開催決定機関は、実は原則的には取締役会なのです(会社法296Ⅲ)。


つまり。
代表取締役に気付かれないように、何らの表立った手続無しに解任するのは、原則的にはムリということになります。



ところが、ですね。

弁護士達は、クビにしたい代表取締役に気付かれずにクビに出来る、と言うのです。
会社法には、新たな規定が出来たのです。

会社法319条1項。
会社法

第三百十九条  取締役又は株主が株主総会の目的である事項について提案をした場合において、当該提案につき株主(当該事項について議決権を行使することができるものに限る。)の全員が書面又は電磁的記録により同意の意思表示をしたときは、当該提案を可決する旨の株主総会の決議があったものとみなす。

…ううむ。
この規定は、株主の提案権を前提にしているようにも思える(会社法303)。それに、株主から株主総会の召集請求を行えるのだが、何しろ株主による強制的な収集は、裁判所の許可が必要な筈(会社法297Ⅳ)。それも、単なる召集手続違反だけなのだ。

という事は。
この規定は、株主が決めたい事項について、勝手に決められる条文ということになる…らしい(汗)。

実体法上、こんな規定が出来たのは、旧商法253条なのだが…
この解釈が正しいとすれば、随分、乱暴な規定だと思った。



とにかく。
この解釈を前提にすると、こういう看做し決議により、クビにしたい代表取締役に何ら気付かれる事無く、闇から闇へ、実体法上、『取締役』の地位をクビにできるので、代表取締役としてもクビにすることができる。


どうやら、弁護士業界では、典型的同族企業のお家騒動で利用している条文らしいのです。


…やれやれ(汗)。


で。
この依頼をしてきたのは、古くから取引のある税理士なのだが…

…この税理士。
こんな条文があることすら知らずに、軽々しく「できるできる!」と依頼人に断言してしまったのだそうだ(大汗)。

日曜日にも、ご丁寧に朝昼晩と電話しまくって来たのだから(大汗)。

我々の感覚からすれば、信じられないほどの軽さ…というより単なるお調子者のようにも思えるが、これは税理士さんの場合、かなりゆるやかな役所がメインの仕事だから、何事にもこういう態度が身に付くように思える。今日は、他にも税理士さんの相談(依頼)を受けたが、民法上、相続において、『家庭裁判所において未成年者の特別代理人の選任が必要』とされている事例なのに、「あ~!『そんなもの』!後で付けりゃ~いいんですよ~!」などと説明してしまったらしく、相続登記の申請そのものに必要と知り、驚き慌てて帰ったという結末に終わった。

確かに、税務署の場合、提出書類の時期は、かなり緩やかだし、その中身も、こう言っては何だが、司法書士の目から見れば、かなりいい加減でも通用する。

しかし、法務局にその手の文書類や提出方法は全く通用しないという事が、彼らには分からない。

弁護士が相手にする裁判所も、相当程度厳しいものの、それでも厳格さは法務局ほどではないから、時として「おいこら…」と思うような文書などを平気で持って来るんだな。

だから、彼らは、特に相続登記を頼みに来る場合、「えっへん!」と胸を張って、法務局では絶対受け付けて貰えない、使えない遺産分割協議書(※特に不動産の所在が地番や家屋番号ではなく単なる『住所』で特定してあるのが多い)や委任状、歯抜けの戸籍謄本を持って来たりする。勿論、ワタクシたちも彼らのプライドを思って、依頼人と話をつけ、彼らに黙っておいてもらい、戸籍謄本を取り直したり、文書類を作り直したりするのだが、そのことは彼らは全く知らない(※『いやあ!いつもご苦労をおかけしているので、今度は楽できたでしょう!』と言う。心の中では『いいえ!ちっとも!(楽ではありません)』知らぬが仏…)。


はあ…なんで先輩の先生が、こういう場合にいつも溜息をつくのか、分かったような気がする。

↑これ、全部「愚痴」ですね。いけません!弁護士さんや税理士さんにも毎日助けられているんですよ(笑)。
とはいえ、中にはこういう場合も、結構多いので、時にはこう言いたくもなる←いえないので書いているのだが(汗)。司法書士って、変な意味でも控えめで、士業の業界でも地位は低目だと思うなあ。行政書士ほどではないんだが(大汗)。


…とまあ、どちらかというと、振り回された仕事ばかりになっていましたが、弁護士さんと協議し、会社法も覚え、勉強になったし、依頼人の仕事も完了したものもあり、本当に充実した一日でした(笑)。
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-20 17:38 | 司法書士編。

買っちゃった~♪

もう涼しく寒くなってきたので、今年は買いました。

M-51パーカー

黒にしようと思っていたら、↓こんなのが出ていたので、買っちゃいました(笑)。
ドラマに使われた、97年バージョンだそうです。
※ちなみに、当時はまだ「マキノ商事」時代で、勿論こんなにメジャーではなかった。また、映画第二作目バージョンは、また色も材質も違うらしい。あの色目の法が好きだから、あっちを出して欲しいのだが。

d0039219_1947028.jpg


ユニオントレーディング(旧社名・マキノ商事)株式会社
青島コート,M-51,M51パーカ,M51,houston
●5409M●M-51 Parka OD-GREEN
M-51 Parka Black
`97モデル完全復刻版セカンドエディション&TM2モデル完全版パーフェクトバージョン
★HOUSTON M-51 Parka '97完全復刻版・ネット限定バージョン|


…これで、昔のようなカッコに戻る訳か。

一応、ホンモノのアメリカ軍供出品も探したけれど、大分少なくなっていることに加え、見つけはしたが、何しろ3~5万円もすると、何だかバカバカしくなったので(本音は欲しくてたまらんのだが(誰か山内一豊の妻になって『一世一代』と言って買ってくれんかな?笑))、ここはコピー品の中でも有名なところ、という選択になりました。

まずは、このOD-GREENを見て、黒を買おうかなと思っています。
加えて、M-65も安いので、これも買おうと。

●HOUSTON●M-65ジャケット● 

さて。
今年は、もう事件は起きんよね??(汗)
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-17 19:27 | 小人閑居

もうすぐ開設!

もうすぐ、事務所のサイトを立ち上げます。
面倒なので(笑)、どっかのフリーのテンプレートにデータを貼り付けて、とりあえずのものを作ります。

とにかく必要なのは…

デジカメ!!

いえね。
ワタクシ自身は、写真嫌いなので、デジカメなんて無くても全く痛痒を感じないのですが。

さすがに、父親の写真を使わない訳にもいかず(笑)。

更に。
来月には、ついに!
畝山社中もついでに立ち上げます(笑)。


さて。
色んなところで、「元・学者が、前の痴漢裁判で、『勇気ある撤退による敗北』を甘んじて受けたのは、一体何故か?」ということが、一つの疑問として、又は彼への否定的な点として、取り上げています。

今回は、訴訟リスクというお話をしてみたいと思います。


まず。
皆さんは、民事だろうが刑事だろうが、「裁判で敗訴」と聞くと、一体どのようにお感じなのでしょうか?

殆どの日本人ならば、「ふん!やっぱり『やっていた』のね!悪いヤツ!」…オカマ言葉はともかくとして、まあ大体こんな感じでは無いでしょうか?

そして、和解という結末に至ったとしても、ある意味では、実質敗訴と感じている人が大半だと思うのです。

しかし。
欧米、特にアメリカでは、そうは感じないのです。

敗訴といっても、それは、ただ単に「訴訟という手続に負けただけ」と感じています。

また、和解についても、「訴訟のリスクを避けたのね」程度。誰も実質敗訴などとは考えないのです。


このように、国民性が捉える訴訟というイメージの違いは、一体何故なんでしょうねぇ?

ワタクシにもよく分からないのですが、日本人の場合、大岡越前に始まり、遠山の金さんなどのお上の裁きというシチュエーションに慣れているからでしょうか?ワタクシには、日本人が、訴訟に対して、正しい事を実現してくれる場所とか、真実を明らかにする場所という考え方を持っているように思えてなりません。

それも、どの場合にも、『完全な』という言葉が、前に付くように考えているように思えるのです。

でもね。
実際、そんなことはありえない、と断言しますよ。

だって。
刑事だろうが、民事だろうが。
裁判は、主張する者、それに反対する者が、それぞれの主張の『資料』を出して、主張の是非を争うものでしかなく、当然、証明の有無(※正確には、証明活動によって裁判所が『真実』との心証を持ってくれる事又は真偽不明との心証を持つ事)で勝敗が決まるに過ぎないのです。

この構造は、アメリカだろうが日本だろうが、根本は変わらないのですから、当然、訴訟は正義を体現する場所ではないという事が分かります。

ですから。
アメリカ人の場合、自分の権利を実現する闘争の場という程度でしかない、と達観している感じがします。

但し、アメリカの場合、日本などとは違い、教育の程度が貧富の差と相まって凄まじい差を生じているので、このようにみんなが感じているかどうかは分かりません。とはいえ、訴訟で勝つのは「強い者」という考え方は、日本よりも徹底していると思います。



さてさて。
このように、構造として裁判という制度が、別に真実を明らかにするとは限らない場所という事を踏まえて、訴訟リスクという点を考えてみたいと思います。


これは、ひとえに、上記のような、訴訟に対する期待とイメージの違いもあるでしょうし、法制度の違いという点があるとも思います。



日本の場合、訴訟を争うことになれば、このご時世は、大変厳しい。
つまり。
勝っても負けても碌な事が無い時代なのです。

前世紀の末までは、訴訟は、企業などの強者が、「合法的に」したいようにして、文句を言わせない為の制度だったような気がします。

つまり、訴えられても勝てば良いので、訴えられる以上、訴訟資料になりうるものが圧倒的に企業側に固まっている事に加え、資金力に物を言わせた弁護活動によって、相手の主張を粉砕すれば良し、という感じだったように思うのです。

しかし。
現在は、違いますね。

訴えられる事=問題となる事を多数している企業と、他の消費者が感じてしまうのです。

つまり。
日本での訴訟リスクは、「イメージの重大な悪化」という点につきるように感じています。

訴えられるだけで、世間様の目が、前とは比較にならない程、厳しくなってしまうという事が、日本での訴訟リスクなのだと思います。



アメリカの場合。
これは、はっきりしていまして、民事の場合、懲罰的損害賠償という、日本には無い法制度に因ると思います。

すなわち。
日本の場合、損害賠償は、実質的な損害のみに認められる(※度々判例で懲罰的損害賠償を否定している)のに対し、アメリカの場合、実質的な部分よりも、遥かに懲罰としての損害賠償額の方がでかいのです。

巨額です。
何十億円と認められます。

アメリカの場合。
昨今では、巨額の損害賠償そのものに加え、そのような懲罰を受ける企業というイメージの悪化まで付きまとうというリスクがあると思います。

ですから。
仮に勝てるかもしれないという可能性があっても、それが高くない場合、和解によってそのリスクを回避するんですね。



日本の場合、訴えられただけでイメージが傷付くので、企業も大変です。




今だからお話し致しますが。

ワタクシが一時勤めていた、A社のお話です。



去年の11月ごろ。
A社は、訴えられました。

例の、強引販売が問題になったのでした。

この裁判の弁護をしていた弁護士は、先日倒産し、同様に強引販売が問題になったT社には、完膚なきまでに敗北していたのです。

ところが。
A社の社長は、相手の言い分を飲み、殆ど「認諾」したのです。

※認諾とは、民事裁判において、相手の主張を認め、敗訴する事。



ワタクシは、その当時、相当怒りました。

相手方の弁護士は、法律の業界内ではあまり良い噂の無い人でした。
※ただ、一般人には「人権派」と思われている。

ですから、これは、「売名も兼ねた乱訴」としか考えられなかったのです。

これを事もあろうに認諾してしまったら、世間は、「ああ、A社はやっぱり『やっていた』んだ~」と当然思うでしょうし、二匹目のドジョウを狙う人たちも沢山でるだろうから、本当の意味でのリスク・ヘッジには決してならない、と思いました。

※訴えた人は、どうやら相当の買い物好きだったようだ。破産寸前になっていたらしい。



果たして。
何も主張しない敗訴の影響は、すぐに出ました。
お客さんの反応が、最悪を極めるようになっていたのです。
ワタクシは、それをヒシヒシと感じました。


この頃。
この訴訟リスクは、社長の思惑とは裏腹な面を見せ、最悪の結果になりました。

銀行が、手のひらを返したのです。

当時、会社には、不動産部門もあり、その資産もあるので、銀行からの融資を受けられるという読みが、社長にはあったそうです。

そこで。
銀行からの要求に従い、社長・副社長と会社との間で彼らに融資するという契約を結び、彼らはそれを銀行への担保として供出、銀行から融資を受ける、という手立てに出ました。

その融資がある間に、成績が悪い社員については、配置換え、再教育、そして解雇によって再編し、営業エリアも統合していき、売上の良い、また評判の良い社員へ集中していく計画を練っていたとの事でした。


※この時の計画では、ワタクシは、内勤の中枢に置くつもりだった、と人事関係の方に教えられました。それを聞いて、一瞬「あ、ワシもリストラ対象だったのね」と笑いかけたが、続いての説明に大変驚いた。何でも、当時内勤は大変数が足りずに困っていたらしいのと、法務部近辺の人材が特に足りなかったので、最初から内部にという話があったのをその方の判断で「営業を経験させてから」という話になっていたらしい。後の祭りだが(汗)。



しかし。
運命の失敗がありました。

当時、呉服界では、65歳以上のお客さんには信販売りはしない、というルールを定めている会社が殆どだったらしいです。

A社を除いては。

そこで。
ダーティなイメージを払拭する為に、65歳以上には、基本的に商売をしない、という方針を決定しました。

実際は、65歳から70歳の方というのは、結構呉服が好きで、買われる方も多かったのです。

A社は、いきなりそこを敢えて切り捨てる挙に出たのです。



案の定。
売上は、落ちました。

銀行は、「それ見たことか」という評価で、いきなり担保と融資を全額引き上げました。
今後、このイメージ払拭は難しく、融資の回収が困難になる、との言い訳でもしたのでしょう。




これが、A社倒産の顛末です。

何のことは無い。
中小企業の倒産の規模を数百倍にしただけの、「貸し剥がし」という倒産だったのです。

※倒産前日、「明日倒産するから」との同期の通報を受けてからは、ワタクシは、この事件の顛末を知ろうと考えました。倒産当日は、好奇心一杯で会社に向かったのですが、ご存知の通り、即日解雇でポイッ!(笑)そこで、ワタクシは、自分で聞きうる方々に事情を聞いてみました。立場の違いにより、見える風景が違う、という事も、その時に学びました。そして、社長の側近とも言える方に、文字通り社長の傍で、倒産まで見てきた顛末を教えて頂く事ができました。ここに書いてきた事は、それをまとめたものです。おそらく、ほぼ間違い無いと思う。幾つかの疑問が解けたからです。




勿論。
会社倒産は、会社が招いたことだったと思います。
昔、社長のお母さんがやっていらした頃のお話からは、大分「荒れていた」ように感じるからです。

社長が、営業の素質だけに頼らないシステム作りを考え出し、頑張っていたのは間違い無いと思います。

しかし、時代が変わっていっているのに対応していなかった、という点は拭えません。

そして。
会社資産が、創業者一族に隠されている可能性も、勿論多分にあると考えています。

しかし、あの社長が自殺してしまった、という事が、ワタクシにはあの一族の重き十字架になっていくだろう、と思います。





…とまあ、A社の倒産のお話をしてみましたが。

この倒産が、あの訴訟の扱い方に原因があるというのは、間違い無いと思います。


戦わない…というのも、リスクがあるという事です。


あの当時、戦えば、コテンパンに勝っていたのも、ほぼ間違い無いのですが、それを「イメージが…」と逃げた事に、大きな「負債」を受けてしまいましたね。




元・学者さんの場合も、争わなかったのは、アメリカ流の「賢い選択」としてリスク・ヘッジだと強弁したと思うのですが、ここは日本。イメージでは最悪を極めたでしょう。




進むも地獄。退くも地獄。

ならば。

ワタクシは、進んで戦い、勝ち、そして相手の返り血によって穢れる可能性を選びます。



そう。
戦いは、どういう姿であっても、どういう戦い方であっても、どういう作戦であっても、勇気をもって目を逸らさずに見詰め、勝利を信じて、いつも相対して、全身全霊の力を尽くして立ち向かう人にしか、その勝利は転がり込まないように出来ている。

これは、ワタクシの学んだ事ですから。
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-14 20:22 | 小人閑居

乗りたいクルマ。

最近、友人が、「クルマを乗るのに、クルマと共に歳を取るのかなあ」というメールをくれました。

この人は、トヨタのレビン(AE111後期)をもう既に30万キロ以上!(40万キロ近く)走らせている人。

…実際、いるかい?
5バルブ・4A-Gエンジンを圧縮抜けしてマフラーから白煙を吐き続けるするまで使い込み、リビルド・エンジン載せ替えまでする人(笑)。

かなりのスポーツカー好き…でもあり、とにかく走らせる悦びをよく知っている人です。

…ここまでレビンを使い込んだ人は、おそらく中々いないだろうと思うんですよね。

でも。
この人のレビンも、大分ノーマルに戻されているらしく、また乗り心地等も気を使わなければならなくなり、どうしても飛ばせないという仕様になりつつあるようです。

ご本人曰く、「速く走りたい気持ちは強く持っているが、体がついて来ない」との事でした。




さてさて。
ワタクシなどは、既に速く走らせる事から解脱してしまい、それよりは、おばちゃんの原付にも劣るユッタリさでスポーツカーに乗る悦びに浸っている毎日ですので、彼のような葛藤とは無縁なのでありますが(汗)…

それでも、もしかすると、全く根が同じ問題で悩んでいるのかもしれないなあ、と思います。



ワタクシの自動車歴を考えて見ますと、一部の例外を除き、完全にスポーツカー又はそれに類するものになっているのは間違い無い。

その中でも、とりわけ好きだったのが、A70スープラのシリーズでした。


最初に乗ったのは、JZA70スープラ・ツインターボRという代物でした。

素晴らしい…確かにすんばらしいのだが、惚れ込み過ぎになったので、当時の状況から手放したのでした。

ちょっと長めにファミリーカーに乗っていましたが、辛いこともあったりして、何だか欲求が抑えられなくなり、またまたA70スープラに。

今度は、GA70スープラ・2.0GTという、前のスープラとは違い、A70中最低グレードのNAエンジンの仕様でした。

何しろ、とにかく、遅い訳ですが、絞りきって走るのは、中々良いものでしたし、六気筒らしく、高回転はオルガンのような音で、世間で言うほど面白くないわけではなかった。特に、ターボRとはほぼ100kgほど重量が違い、軽かったので、そのほかのスープラとは全然違い、思いの外よく曲がる車でした。

しかし、見つけてしまったのですよ~。

FD3S・RX-7をね~!

↓当時の記事。
遂に箱替え!
スポーツカーは、「悪い女」??

実は。
今まで7を探した時、買いそうになったものは、全てH5年式または6年式のグリーン・メタ(ターコイズ・ブルー)だったという縁があります。

このクルマも、それにドンピシャ(笑)。

もしかすると、色による影響が様々に考えられます。

この色を選んで買われている方々は、ちょっと年齢層が高い(平たく言えば『オッサン』)であろうことは間違い無い。

ということは、扱い方が比較的丁寧で、事故歴があっても非常に軽微である点がありましょう。


(※FD3Sとシビック(EG6,EK4,EK9)は、フレームの構造上、いわゆる「事故車」となりやすい。正確には「修復歴」。→ここを参照。この中にもあるように、フロントインサイドパネルというところがあるが、通常のクルマであれば、ここは「二分割」で設計されているところ、上記のクルマたちは、全部「三分割」で設計されている。これは、取りも直さずちょっとぶつければ、前の「一分割」目が折れてしまうことを意味する。ただ、これは、逆に言えば、だからこそパネルの深いところまで衝撃が伝わりにくく、歪み難いということにもなるらしい。7は、大人しい人が乗っていても、所詮はスポーツカーなので、ちょこん!とぶつけるくらいは、よくある事。仕方が無い。だから、こういう「事故」でバンパー交換までの修理になってしまい、「事故車」扱いという車になってしまう事もあるのだという。)


お陰様で、見付かったクルマは、中々のものでした。
年式相応、ロータリーならではというトラブルも、しっかりあるのだが(笑)。


で。
このクルマ。

現在のクルマには無い夢がいっぱいのクルマ(笑)。

実際、今までのクルマの中で、最も悦びが大きいクルマなのです。



どういうクルマを買ったとしても、クルマが本当に好きな人であっても、維持費などはともかく、どこか割り切れない不満というか、フィットしないところななどがそれなりの大きさで存在すると思うのです。

それが、飽きに繋がりやすいのかもしれません。

しかし、ワタクシにとっては、今の7だと、それが今までの経験からは、とても少ないと感じます。

…勿論、FDならではという『冷却』問題等、乗り越えなければならない点も、あるのはあるんですけどね(笑)。




しかし。
こういうクルマに出会うと、今度は、かなり深刻な不安が付きまといます。

それは…

もう、乗りたいクルマが存在しない事。



何しろ、今のクルマは、程度が良いと言っても13年落ちなのです。経年による劣化は避けられません。

まだまだ現役のクルマであるのも間違い無いのですが、そういう問題で降りざるを得ない事態だって考えられます。何度も言いますけれど、まだまだだと思いますけどねぇ。

しかし、もしもそういう事態が、今、起きたとしたら??

無いんだよねぇ…今のように「乗りたい!」と思って買おうとする車種が(汗)。

今は、国産スポーツカー絶滅時代ということもあります。

ただ、それだけではなく、そもそも乗りたいクルマが無いという感じなんですよねぇ(涙)。


…友人の悩みも、実は、これと同じところから出ているのかもしれない。
本当は、今のクルマは「もうええやん」と、気付かないけれど、心の奥底では思っているのかもしれないが、乗り換えたいという情熱が持てるクルマが、もう無いという事で…


いやあ!
困っちゃいますね(笑)。



Zも、NSXも、何だか違うんだよなあ。
何が違う…という事も、今は何とも言えないんだが、何かが違うようになってしまった。
致し方無いのかもしれないですが…





最近は、他の楽しみ方を考えていました。

①マークⅡなどの、安いグレードのMT車を探し、NAの2JZエンジンとMTに載せ替え。6連スロットル製作とポン付け可変カムシャフトにより、気持ちの良~いNAのFRセダンを楽しむ。

…普通にツアラーVでも買えば良いではないか、と言われそうだが、2JZのNAをこのように改造している人が、確かに存在する。気持ち良さそうなのだ。

②大人しく、BMWに乗る。
…しかしねぇ、MTのモデルはあるにはあるが、中古車が少なすぎる。新車は500万円するのが難点だ。



…500万円??


そうだ!
もしも…もしも、もしも、もしも、だ。

③500~700万円出す!という暴挙に出る事が許される状況ならば…結婚もできずせず、隣に座る女性もおらず子供もおらずということであれば…フェラーリの中古という手もあるではないか!(笑)

ううむ!
確かに、保険料がべらぼうだわ、燃費はガソリン垂れ流し状態だわ、タイヤも高いわ、音もうるさいモデルになってしまうわ、しかも幅は1900mmはあるから取り回しは大変だわ、そもそも家に置けない大きさだわ…と問題は枚挙に暇が無いほどではあるのだが、乗ったらこの世の幸せではあるとは思うなあ。

BMWも良いんだけれど…何故かポルシェには興味が無い上、他のイタリア車は、『壊れるから』嫌だと公言しているから。

フェラーリだって、『停めているだけ』でも壊れるのだが(笑)。

※ちなみに、仲間の弟が医者なのだが、広い国道のど真ん中で、ただ走っていただけなのに、自慢のフェラーリが炎上するという騒ぎを起こしたばかりである(汗)←モンディアルか328だったと思う。


…燃えてしまうのも勿体無い。



という事は。


大人し~くMR2ということになるのかも(大笑)。
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-11 18:54 | 小人閑居

信じる者は救われない(涙)。

ああ。
自分から痴漢騒ぎの元・学者のことを書くのは、些か面倒の様な気がするので、最近は忘れていたのだが…

いえ、色々な方々が、とあるブログについて、コメントを書かれているのだが、お互い「間違っていることを教えよう!」という思いに囚われているような気がしたのです。

確かに、かのブログは、もはやどうしようもない弁護に終始しているのは間違い無いのだが、それだけではない。

結論を決めて、証明活動をするという行動に他ならないのだ。



実は、これは何もかのブログだけに起こる事ではない。

自分の中にも起こる事なのだ。

「中」というけれど、実際、かのブログ作者が呪う冤罪なんて、正に同じ思考・感情のなせる業なのだから。


簡単に言えば、作者がやっているのは、ただ単なる感情に任せた結論からの逆算的証明ですわ。

結論を固定しておいて、その結論を何とか合理的に説明しようとする行為。

これは、既に科学ではないわけですが。



何でこんなことを書いたか?と言いますと。

最近の科学の世界でも、皆さんもよくお聞きになる、論文の捏造というのは、この行為が行き過ぎた先に存在するもので、昨今、これが多すぎることを思い出したからだ。

まあ、これを起こす動悸としては、行き過ぎた結果主義があるのは間違い無いと思うけれど、それはさておき。

こういうのは、理性的な科学の姿ではないよな~。


では、そもそも「科学」って、何でしょ?

哲学の時間の記憶を紐解けば、語弊を恐れずに定義すると、誰がやっても『同じ答え』になる事という事になるらしい。

そこには、人間の感情から導き出されるものは、極力排除されるということになる。

何故なら、感情には、『一つにまとまる答え』がそもそもなく、またそれがありえたとしても、誰もが同じルートを辿って到達する訳ではないからなんですよね。

こういう感情が主に働く答えの出し方を主観的価値判断という。

つまり、感情が天秤にかけて、『どちらが良さそうか?』を感覚的に判断するものだから、その判断には、論理性とか同一性は、殆ど無いことになる。


で、世の中の事が、そんな風に答えが一つというのも困るし、中々無い訳なのですが、科学の世界では、そうでなければ何の価値も無い。

しかし、だ。
結果を求める人間の感情が、結果から逆算的に証明をしようとすることが、科学の分野ですら起きているのですわ。



これは、人間の良心が最も試される瞬間でもある。




今、アメリカでは、日本人研究者は、一つの『ブランド』でもあるという事、ご存知でしょうか?

あまり他国の事をあげつらうのも何なのですが、正直、中国とか韓国の研究者は、かなり敬遠される傾向が強いのだそうだ。

色々な原因はあるのだが、たった一つ挙げろ!と言われれば。

「ウソを平気でつく。」

この点なのだ。



我が友人・博士に聞くと、確かに同じアジア人でも、中国・韓国の二国の研究者には、共通の癖がある。

それは。
自分のアピールは上手いが、それが極端で、相当のウソが入る事なのだそうだ。

簡単に言えば、知らないことでも「俺は知っている」と言うし、やった事も無いことでも、「出来る!」と言い張って出来ずにいて、それを周りのせい…人種差別的な原因に求めようとしたりする傾向がある…らしい。

これは、彼以外にも聞いた事があるので、どうやら国民的な性格らしい。

しかし、これが科学の分野となれば、マイナスに働くのは間違いあるまい。

そういう彼らが研究をすると、捏造とはいえないかも知れないが、その寸前、又はスレスレの行為になる事を平気で行ってしまう。


つまり。
どうしても出したい結論の為に、寧ろ強引に実験データを結びつける挙に出るのだそうだ。

これが、度が過ぎる場合が多くなってきているそうだ。



科学の論文の場合、「こういう実験を追加して実験せよ」と雑誌の選考者たちから要求される場合が多いのだが、彼らのような論文の場合、そもそも論拠に疑問符がつくようなものすらある。

科学の論文として価値が高いのは、同じ分野の研究者達が追試実験を行い、同様の結果が多数出る事なのだが、彼らのデータの場合、どのようにも推認できるような結果しか出ない実験で結論付けている場合が大変多い、と聞いた。


しかし、ねぇ。
幾ら科学の世界と言ってもだよ~。

余りに不自然だと、誰でも偽造に気付く訳で。

そして、感情の面でも酷く嫌悪し軽蔑するようになる。

そうして、信用が失われてしまう訳だ。



あのブログの作者が嫌われているのは、正にこういう点で、だろう。
簡単に言えば、膨らんだ自己の欲望で、何でもかんでも自分の思い通りにしないと気がすまないという人間性が垣間見え、腐臭を伴って回りに触れ回るので、嫌悪感に耐えられないのではないだろうか?

これは、科学ではない。
正に、主観的価値判断のなせる業。

だから、お互い話が噛み合わない。
当たり前だ。
だって、お互いの中で重きをなす価値観がそもそも違うのだから。




でね?
人間、『信じる』という事は、確かに、一つの『強いパワー』であることは間違い無い。

それは、生きていく上でも、とても大切な場面がある。
特に、自分を信じることは、人間、一番出来ないことかもしれないが、自分しか「寄るべ」はないのが人生だから、「たとえ失敗しても、大丈夫、自分はまた立ち上がれる!」と思うことは、何にもまして大切だろう。

しかし、だ。
『信じる』という事の裏返しが、当然存在する事も、また知らなければならない。

それは…

思考停止。

どんな人も、この暗黒面を軽視しているように思える。


特に、宗教教育が、あまりなされていない日本人は、こういう経験がないのだろうが、「正しい価値」などというものを教えられると、人間、思いの外それに頼ろうとするんですよね。

何故か?

楽だから。

何も悩まなくて済むというのは、本当に楽です。


人を信じるのも、全く同じ。
信じるというのは、素晴らしい事。
特に信頼できる人が周りにいるのは、本当に素晴らしい事です。

子供が周りに生まれると、特に親ってありがたいと思うよな~。
無条件に信じてくれるというのは、親しか出来ないかも。



しかし、だ。
仮に、人間が判断するのが感覚というあやふやなものであっても、判断の材料があれば、色々と考えるのが正に人間であるのに、そして、それをこそ人間の凄さでもあるのに、だ。

『正しい』答えなどと言い切ると、ワタクシは生理的にそいつに向かって立ち小便でもかけてやりたくなるんだよな~(汗)。

だって、さ。
『正しい』という言葉と考え方は、既に即ち「一つしかない」という思考そのものを表している。

とすれば、そういう言葉を平気で吐くということは、自分の価値観の絶対性を信じていて、他に考えようとしないことを暗に表している。

つまるところ、「自分だけが『正し』くて、他は全て『間違っている』のだから、自分の価値にみんなが『従わなければならない』」と、文字通り信じきっていることになる。

即ち、思考が底から始まって、停止してしまっているのだから、「他の人間など、丸で価値が無いから、尊重などする必要は一切無い」と考えているのは、殆ど間違い無いだろう。

ということは、「オレが最高!他は、みんなバカ」と思い込んでいるということになる。

だから。
ワタクシは、そういう手合いは普段は放っておくが、ワタクシにも強要し、あまりにも「正しい」を連発する人間には、論理で矛盾を突き、完膚なきまでに否定して、心まで破壊するという暴挙に出ることすらある。

それが、自分が一切採らないような意見を用いても、ね(笑)。

当たり前だ。
喧嘩なんて、何使っても「勝ちゃあ何しても構わん」のだから(大笑)。



まして。
人間なんて、色々な面があるのに、まるきり正解!なんて信用の仕方をするかねぇ?
勿論、疑え!とまでは言わないが、少なくとも、信じたいという心は、横に置いといて、考える材料を肯定否定どちらからも集めるのが、筋ってもんだよな~、と思う。


それが出来ないのであれば…
身を引いて、他人に任せるのも、一つの手だな。




議論というのは。
「そもそも正解など一つの訳が無い」という、絶対的価値観を持たないという事から出発している訳だから、話が噛み合わない人間は、元々、他人の意見を必要としていないのです。

そういう人間が欲しいものは、自分に対する同意、追従、おべっか、そして羨望です。



だから。
ああいう手合いには、なるべく触りたくないなあ。



幾ら言っても始まらないから、まともに「こう言った」とか取り上げず、寧ろ、自分の思索的な過程を振り返り、他の人の筋道などと絡ませて、またまた自分で考える方が、ずっと面白いのではないかなあ、と、自分自身への反省と共に考える次第であります(汗)。




正に。
己の「正しさ」を「信じる」者は、どうしても救われないのでありましょう。

信じて救われるのは、自分は変われるという前進できる力の方ではないかなあ。
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-06 23:42 | 小人閑居

涼しくなってきましたねぇ。

おや、気が付くと11月ですね。

ところが、最近は温暖化の影響なのか、暖かい…というより暑いので、ワタクシ、まだ3シーズン用、つまり夏服だったりしたのです。

月曜日からは、秋冬用に替えます。


一部の元・学者応援ブログは、もはや意味不明の自己正当化証明プログラムになってしまっており、普通の一般的な日本人が見れば、ちょっとおかしい人としか思えない代物になってしまっている。

誰も同意できないような論旨…論理性があればの話だが、それが無いもんだから、多数の人の反論に遭い、それが腹が立ってID拒否、みんなまとめて「架空人物からの非難」という訳の分からない文章を書き連ね、自己正当化まっしぐら。


ワタクシ、かの元・学者が有罪だろうが無罪になろうが、どちらでも構わないのだ。

だから、前々から、「こういう犯罪をやったからには、刑務所から出てくるな!」という発言はしていないんだよね。

それは、裁判所での裁判過程が決めること。

ただ、ワタクシは、人間性が大嫌いというだけで、ね。


あんな連中に、未だに振り回されている方々も、今も多数おられるのだが、きっと皆さん、若くて性格も律儀な人たちなんだろうなあ。凄く腹を立てていらっしゃる。


ですが。
相手と同じように議論しようとしたら。

その時点で、方向はどうあれ、同じレベルの価値観で自分の正しさを証明しようとする行為になってしまう。

簡単に言えば、同じレベルの人間という事になる。

多くの人が、「こいつ、レベルが低すぎる」と判断して、相手にしないのは、単純に価値観が低すぎるから、そのレベルが判断できてしまい、相手にしたくなくなっているだけなんですよね。


何でこんな事を一度は書いておこうと思ったか?という事なんですが。

未だに、「あいつ~!こんな事決め付けて!こんなウソ言っていやがる!」と腹をお立てになり、書き続けている方々がおられるから。

ああいう手合いに腹を立てるという行為は、既に相手のレベルと同じという証明になってしまいます。

勿論、元・学者の学者としての能力と事件の真相を探るのは、別に構わないんですが、あんまり低すぎる人の考えを振り回されていると、自分の生活上の価値観まで下げてしまうので、ワタクシは、もっともっと、自分を向上させるような、もっと言えば、毎日のちょっとした感動や感心をブログで記録していくというような事の方が、自分自身のプラス思考を助けてくれるように思います。


いえね。
最近、特に人間的には低すぎる連中を相手に仕事をしてばかりいるんですが、このブログで文字にして書いていると、後で読み返してみて驚くのは、強烈に怒って書いているように見える事。


ううう!
ワ、ワタクシの関西人独特の強烈な皮肉屋の性格が出てしまっているなあ。

とても反省しているのですが。

実は、事務所では、これらは全て半分以上笑いのネタにしてしまうんですよね。

勿論、同業の方の中には、同じ経験をしても、ワタクシとは正反対に怒り狂う有名な方もおられるんですが、こういう人は、高血圧に悩まされているらしい。

怒るという事は、科学的にも、体の中で様々な有害物質を作り出す元になるという事が証明されているようですね。そのメカニズムはともかくとして、ワタクシにとってみれば、確かに喧嘩している間は、それなりに怒っているのですが、ワタクシ、やはり関西人の常と言うべきでしょうか?「うふふ♪ま~たネタを貰っちゃったわ~♪」という感情の方が先に立つのが正直なところ(笑)。

本当は、サラ金なんて相手にしているフリをしているというのが、真実なんですよねぇ(大笑)。



問題にしない、というのも、単純に「逃げている」という評価を受けそうで、それが怖いのかも知れませんが、相手にしているのもバカバカしいと感じるのなら、相手にしないというのも、一つだと思いますよ。






さてさて。
日本シリーズ、終わりましたね。

え?
今時、野球??って感じですか??

ワタクシ、野球というスポーツのエンターテイメント性って、まだまだ現役、健在だと思います。



翻って、今年のWBCだって、みんな面白がって見ていたでしょう。

夏の甲子園は?
スターが出た途端、みんなゲームを楽しんで見ていたでしょう?

では、今年の日本シリーズは?
北海道と名古屋の視聴率が高いのは良いとして、本来、地元と関係ない関東および関西でも、視聴率でも20%以上取っていたんですから。


じゃあ、一体、何が野球人気の凋落になるんでしょうか?





そう。
こういう事を言い立てて危機感を煽っているのは、全て「巨人様」のご威光にすがっている人たちの妄言と考えざるを得ない。

巨人が滅びれば、日本のプロ野球が滅びるという、考えてみれば何の根拠も無い妄執に囚われている人々の強迫観念に過ぎない。

というのも。
巨人の地上波放送の視聴率だけが大惨敗だという事が明らかになったから。



野球そのもののソフトウェアとしての価値は、それほど変わっていない…というより、野球というソフトウェアに求められる価値が変わったと言うべきなんでしょうね。

特に、プロ野球に求められる楽しさの演出は、経営、制度と様々なものへの変革を要求しています。



かつてのプロ野球のビジネスモデルは、読売ジャイアンツでした。

簡単に言えば、全国区人気を取る事。

これに成功した為に、巨人は好き勝手が言えた時代が長すぎた。
金に物を言わせて、選手を育てもせず、ただFAで買いまくるだけ。



しかし、時代が大きく変わる。
バブルが弾け、地方切捨てによる中央集権の弱り。
そんな時代の初めに、Jリーグが登場。

キーワードは、身の丈経営(※横浜F失敗後)と徹底した地元密着でしたね。



これが、スポーツ界にどれだけ影響したでしょうか?

最初は、1リーグ制などという、巨人と西武・オリックスの、どうしようもないバブル時代の時代遅れ経営者たちの妄言に踊らされそうになりました。

ですが、自分の足で立って歩くという基本に、野球界、特にパ・リーグが立ち上がります。

元々、福岡に大きな成功例があったのですから。


こうして、千葉、移転した北海道、福岡、盛岡については、涙ぐましい『地元密着』経営が始まります。


特に、今年日本一になった北海道日本ハムファイターズについては、それはそれは日本ではJリーグ以外存在しない、徹底した地元密着型スポーツビジネス経営がなされています。

殆どがメジャー・リーグで近年行われているものですが、ここまで徹底したものは、現在の日本には他に存在しないんですね。



まず、経営陣の作り方が、そもそも巨人などとは違うのです。

経営理念は、全て自前でチームを作る事。

その為に、セレッソ大阪藤井純一社長を球団社長に置き、経営全般についての戦略を担当させ、高田繁氏GMにほぼ全てのチーム作りを任せる、という分担を決めました。



GM側の組織作りは、12球団では最先鋭と言っても過言ではないもの。

社長は、野球の素人。
自前で作るという方針から、アスレチックスで実用化された、『マネー・ボール』と呼ばれるスカウティング・システムの日本適応改良システムを独自に開発し、球団全体でデータを共有化しました。

また、1軍・2軍合同会議を頻繁に行い、育成段階などの現状を全て共有化している。そして、2軍はチーム統括本部が起用法や方針まで一括して育成プランを計画・実行するという方式にし、また、2軍の各レポートは、完全に高田GMに吸い上げられていて、相当デリケートなもの以外は全てチーム統括本部所属員に全て共有化・公開されているそうです。

チーム育成についての基盤作りの先進性は、おそらく12球団一でしょう。

スカウトも、プロばかりを使うのではなく、あらゆるところの素人さんの情報を得る為に、登録スカウト制度を始めた。これは、メジャーでは古くからあるもので、簡単に言えば、「こんな良いのがいたよ~♪」と気軽に通報して貰うという制度。

プロのスカウトについては、前述の通りスカウティング・システムによる数値化が、あらゆる項目までなされています。これは、そのスカウトが何回調べたのか?に至るまで、全て数値化されていて、精度の向上も図られており、おそらく、日本では常に最新のものと断言しても良いでしょう。

更に、選手市場を常に把握する為に、世界のサッカー界では当たり前の制度ながら、全プロ野球選手データベースを構築し、共有化している。
年俸からそれまでの経歴から現状に至るまで、です。

全てが、長期的視野に立ってのチーム作りが徹底されているのです。



経営側はどうか?

これも、12球団では最もスポーツビジネスとして無駄を無くそうとしているものと言って良いと思います。

現在の球団の赤字…それも、日本ハムの『広告料』を省いた実質赤字は11億円だと聞きました。

改革が始まったばかりのチームとしては、驚異的と言うべきかも知れないですね。

だから、「年俸総額」という厳しい現実を考え、FA争奪戦は極力控えるという方針を立てざるを得ないので、チーム育成のための出資は惜しまないのだといいます。

黒字化達成の為に、様々な努力がなされているが、広告収入から始まり、チケット販売網、マーチャンダイジングの改革に至るまで、多岐に渡る徹底した『経営』努力を重ねています。

一番有名なのが、730チケットだろうなあ。
メジャーでは有名すぎるものだが、午後7:30を越えるとチケット代が半額になるというもの。
チケット代を安くしてでも人に入ってもらえれば、少なくとも半額の分は収入が上がるし、場内の飲食料も稼げるので、損しても得があるもの。利益が上がるためには、こういう営業努力も欠かせないのですが、これは経営者側の姿勢がそのまま現れているものだと思います。

放映権料にしても、今までのビジネス・モデルとは違い、それだけを当てに経営モデルを構築する事は、一切しないという、いわば現在までとは正反対の経営方針に立っているのです。

ネットの発展が遅い北海道の地元民に沢山見てもらう為に、安い放映権料でも良いから、沢山放映して貰うという方針なのです。


これは、もう一つのキーワード、地元密着に繋がります。

地元密着の為に、Jリーグのような下部組織を持てないプロ野球球団としては、日ハムOBを職員として雇い、北海道全域での野球教室を行うという実に地味だが実直な活動を続けています。これは、相当好評だと聞いています。

そのOBたちを雇用するのも、野球界での「第二の人生」を得つつ、『野球マーケティング』という観点からを学ばせ、フロントの人材育成を図るというのだから恐れ入るところです。

そして、他のスポーを含め、子供達にその場を提供し、更に共存共栄を図る計画を札幌ドームを中心にして考えられているのだそうです。

確かに札幌ドームは、ゲームがなければ周辺は閑散としているらしいから、これは地元も喜ぶだろうし、他のスポーツ界も協力したいところでしょう。




これだけ見ても、日本にはかつて無かった変革だと思います。
今年の優勝は、第一段階に到達したことの証明に過ぎないのでしょう。

福岡にも、これらとは違う戦略で、別のビジネス・モデルを構築し、成功しているホークスがあります。

それぞれ、地元の選手がこぞって入りたいチームになりつつあるのが、共通点かもしれないですね。



だが、しかし。
巨人に当てはまるものが、これらの中に何か一つでもあったでしょうか?



巨人のキーワードは、ずばり「全国区の人気と伝統」だけなんですよ。

こんなものは、ビジネス・モデルでも何でもない。

看板だけが存在している店のようなものです。

看板も、いつかは壊れてしまう。
そんなものに頼ってばかりのチームに、どれだけの人が思い入れを持ってくれるというのでしょうか?


よく、「巨人は日本の『ヤンキース』だから」などとい
う大馬鹿者がいるが、それはある視点を欠いています。

この2球団を比べると、確かに似ている部分もある。
FAで大金に任せて取ってきている…ようなところもそうでしょう。

しかし。
ある点で異なる。

ヤンキースは、あくまで『ニューヨークの球団』なのです。彼らには、帰るべき地元がある。メッツと人気を二分していますが、ニューヨーク市民は、この2球団を『地元の球団』としてこよなく愛しているのです。

しかし。
巨人には、そのような『地元』は、存在しない。


巨人は、昨今東京読売ジャイアンツと言っている。
…ヤクルトですら東京ヤクルト・スワローズと言っているのだが(笑)。

しかし、この二球団は、果たして北海道や福岡、千葉や盛岡、そして甲子園のような熱い地元があるのでしょうか?

ヤクルトは、まだ良いかもしれない。

しかし、全国の人気を当てにしてきた巨人に、果たして『本来戻るべき地元』が存在しているのでしょうか?

全国の人気を失った彼らには、アムロ・レイにすらあった『帰る場所』なんて存在しないという事が暴露されてしまった。

今年ほど、『帰るべき』地元の無い巨人が頼ってきた、今までの『伝統と人気』ビジネスの崩壊が顕著になった年は無いでしょう。

もはや、巨人のビジネス・モデルは、新しい時代のスポーツ・ビジネスなどと言えるものではなくなった訳です。


これは、何も巨人だけの問題ではない。

阪神は、まだマシだが、中日を初めとしたセ・リーグ残り4球団のビジネス・モデルも崩壊したと言って良いと思います。

中日などは、『名古屋』の巨人というべきもので、巨人と同じように「伝統と人気」以外、何ら戦略的なものは存在していない。

阪神は、星野氏を擁して、何とか大阪の球団として存在しえるものを保っているが、それでも昨今はともすると『巨人』化する傾向が見られる。このままでは、同じ末路かもしれないよ?


ともあれ。
パ・リーグは、既にセ・リーグよりも先を歩き始めた事が明らかになったと思います。

セ・リーグも、来年はプレー・オフを導入するから…などというのは、バカバカしい話です。

スポーツ・ビジネスとして厳しい経営をきちんと行えるかどうか?をパ・リーグは考えている。将来像・ビジョンが明確なんですよね。

しかし、セ・リーグは、昔の『貯金』を取り崩しているだけ。何ら将来的なビジョンは存在していない。



これから数年。
セ・リーグは、思いっきり凋落するでしょう。

その方が、良いかもしれませんね。
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by uneyama_shachyuu | 2006-11-03 08:43 | 時事