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あれは『ボール』

最近、なぜだか今頃になって…というより、この期におよんでまだ議論になっているのか、ワタクシの周りでも問題になっていたので、書いてみようかと思いました。

それは、広陵対佐賀北・甲子園決勝のストライク判定問題です。

…今でも議論があるというのがバカバカしいと思うのですが、それだけ色々とあるらしい。

特に、四球押し出しの場面のストライク・ボール判定には、様々な考え方があるけれど、大抵は、「あれは『ストライク』だったんじゃないの?酷い」とかいうもの。

今、大学からのインターンの一人が言うけれども、彼まで考え方に偏りがあるのにビックリして、ワタクシは絶句してしまった。

とにかく、他の様々なメディアでもこの問題が今でも取り沙汰されているのを見て、疑問に思えてならなかったのです。


結論から言わせて貰えば。

あれは、「ボール」です。あくまでも。

あれは、広陵側の自分勝手・得手勝手な思い込みに過ぎない。

まず、一つ目。
ストライクは、『ストライク』だからストライクとなるのではない。あくまで『審判のストライク・ゾーン』が『ストライク』である、という基本を履き違えていること。

これは、傲慢と言うか何と言うか、仮に不満が正当化するとしたら、ストライク・ボールの判定がバラバラであるような場合だけと言える。

だから、勝手に自分たちでストライク・ゾーンを設定してゲームに臨むという事態、そもそもスポーツとしての野球に対し、基本的な考え方に誤りがあったということです。

事実、広陵側は、あのエース(「ボール」と判定される度、ニヤニヤしていて鼻持ちならなかったが、その態度からも自分中心の考え方が透けて見える)の変化球については、絶対の自信とやらに取り付かれ、妄想的でもあったと言わざるを得ない。

簡単に言えば、甘ったれ根性でしかない。

だってそうでしょう?
この判定は、ばらつきのミスの問題ではない。
このコースは『ストライク』とは判断しないという審判の基準にいちゃもんをつけて、ストライクと言わんかい!ボケ!と凄んでいる、某関西系球団の発狂的関西人ファン達と、さして違わない(笑)。

今回の審判は、ばらつきがあったわけではない。だから、全く問題なし。

大体、同じストライク・ゾーンで戦っておいて、自分だけ不利に扱われたように言うのは、負け犬の遠吠え以外の何物でもない。

佐賀北も、同じコースで戦っていた事実をお忘れなく。

だから、「あのコースは取らない」ということを確認したら、良いバッテリーなら作戦そのものをその場で変えてくる。

彼らには、それが出来ないような考え違いに取り付かれていたのが敗因だったのでしょう。

名門の自惚れですな。



二つ目。
キャッチャーの指導がなっていない。

簡単に言えば、キャッチャーの捕球技術は酷すぎたのです。

ゲーム中、ずっとそう思いながら見ていました。


野球のストライク判定には、アメリカと日本では、ちょっとした違いがあるのは、余りにも有名です。

簡単に言えば、ホームベース上(※アメリカは、内角が狭く外角が広いというが、それも審判次第。内角もしっかり取っている審判も多く見かける)の『ストライク空間』をいかに通過したか?がストライク判定の基本であるのは間違い無いのですが、日本は、アメリカよりもずっと厳しいのは、終点(キャッチした地点)の位置も見るという伝統があるのです。

だから、日本では、キャッチャーの捕球技術の基本は、取った位置からみだりに動かさないように止めるという事なんですね。

しっかり止める動作をするなら、横は、まだ少しなら構わない。しかし、上下はタブーなのです。

楽天・野村監督も、その他のキャッチャー出身監督・コーチ達も、必ず言っていることで、語るのもバカバカしい事です。

しかし、広陵のキャッチャーは、どうだったか?

最初から最後まで、全てのボール、特に低目のボールについても上からおっ被せるように捕球し、上に大きく引き上げていたのです。

あれでは、全部低目のボールを「低すぎるボールだから誤魔化しました」と取られて『ボール』と判定されてしまうのです。

実際、プロでも若いキャッチャーは、同じようなミスをすることが往々にしてあります。


最近になって、あの当時のルポを見たら、主審をやっていた人は、「キャッチャーは下から引き上げていた。あれは『ボール』です」と自信を持って語っていたそうです。



ワタクシは、あの時、しっかり見ていましたが、ワタクシも同じように判断していたと思いました。

だって、あれでは「誤魔化しました」とでも言わんばかりの動きをキャッチャーがしていたからです。


原因は、彼ら自身の中にあるのに、彼らは自意識過剰にも未だに気が付いていないのでしょう。

必ず、このしっぺ返しは来ますよ。自分の人生で。
だって、「悪いのは審判だ」と思い込んで生きていくんですから。
野球人生でも、間違いなく同じような場面が来てしまいますよ。
自分で、その不幸を招くと思いますよ。

…まああの監督にしてあの暴言(審判がどうのこうの)ですから、生徒たちもそういう考え方になるわな(笑)。

by uneyama_shachyuu | 2007-09-09 12:06 | 時事