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名車は意外にも

ワタクシ、実は…
つい先年まで欲しくてたまらなかったクルマがあったのです。

多分、意外なクルマだと思いますよ。




世の中には、名車と呼ばれるものがありますね。

世界中を見てみると、勿論、超高級車でも名車と呼ばれるものがありますが、それでも身近な名車となると、こんなものかなあ…

シトロエン・2CV
フィアット500(チンクエチェント)
ミニ(クーパーその他の兄弟)
VW(フォルクス・ワーゲン)ビートル(”セダン”表記も”Type1”と呼ばれることもある)


これらの自動車には、ある共通点があります。
つまり、非常に長い間生産されていたという点です。

まあ、その共通点には共通の事情があるのはあるのです…単純に、新モデル開発が上手くいかなかったという事情が多かれ少なかれあったのも事実ですが、そういう事情を差し引いても、これらのクルマの国々では、市民が必要十分と認めていたということ、そして、こよなく愛されていたということだけは、間違いないでしょう。

それゆえに、もう一つの共通点として、別名として国民車とも呼ばれるほど、一般庶民に愛されたクルマという点があります。


さて。
この挙げた中でも、はっきり国民車と呼ばれていたのは、何と言ってもVWビートルですね。

これは、古くはあのアドルフ・ヒトラーの命令によって作られた国策会社で開発が始まり、生産されたという歴史から始まっています。

有名なのは、この設計が、あのフェルディナント・ポルシェ(後のポルシェ設計を設立、息子がポルシェ社に発展させる)の設計によるもので、後のポルシェの名車に繋がる基本があるとも言われます。

ナチスの人気取りから国民車構想が作られたのですが、何しろフォルクス(国民の)ワーゲン(乗り物・自動車)という社名は、とにかく分かりやすい(笑)。


※ヒトラーが条件に挙げたのは五人乗りで時速100キロ巡航性能、しかも100キロを7リッターのガソリンで走れることだったという。単純にリッター14キロ以上も出せなくてはならない上に、100キロ巡航など、当時殆どありえない破格の低価格車の走行性能を求めたことになる。アウトバーン構想を進め、国民車構想によって人気取りを考えたヒトラーとしては、ありえないとはいえ、これくらいの目標を挙げることは必要だったのかもしれない。さて、このような条件は、他にも例がある。先に挙げたシトロエン2CVである。日本人には花嫁姿のクラリスが逃亡に使ったクルマとして有名だが(製作当時、宮崎監督の愛車だったからだそうだ。ちなみにフィアット500にしても、ルパンがスーパーチャージャーなどというものを付けて、とんでもない走りを見せるが…お陰で、日本人にはすんごく走るクルマという異常な誤解が持たれている。しかし、ノーマル18馬力…遅すぎるクルマ(汗)。下りだけは速いシャシー性能はあるのが美点)、このクルマにしても、当時のシトロエン社長・ピエール・ブーランジェが、二人の大人と50キロのジャガイモを積んで最高速度60キロ、100キロを5リッターのガソリンで走れることという条件を出して開発が開始、ビートルに遅れること9年後に発売されている。最高速度が低いのは、単にアウトバーンが当時は一般的ではなかったことと、フランスでは石畳の道を走ることを前提としているからだが、レーシング・カー並みの走りの性能を求められたビートルとは正反対とも言えるほどコンセプトが違い、本当に長距離の移動と安楽さを安価に国民に提供することを考えていた。ただ、何故ジャガイモを50キロも積むシチュエーションが必要なのかは、日本人には理解しがたい。フランス人にはそんなにジャガイモって必要なのか?林檎ではダメなのか?林檎を50キロでも迷惑な話ではある。しかし、リッター20キロとは恐れ入る。この当時から、本当に国民の経済事情を考えている点では、両者は共通する。乗り心地や運転性能についても、個性の違いはあるが、評価は高い。とにかく、やはり国民車は、そのお国柄に合わせた最も必要な最低限を満たしているのだ、とも言えるだろう。どちらにせよ、本当によく考えられている名人技の設計だと思える。


そんなこんなで、ワタクシ達になじみが深い、あのビートルは、何と1938年から65年間・2150万台も生産され続けたのですから、これはもうとんでもない工業製品と言えるでしょう。


「…あれ?」と思われた方。
いらっしゃいますよね。

ワタクシ、1938年から65年間と申し上げました。

おかしい!と思われても仕方ないですね。
でも、これは本当なのです。

ビートルは、20カ国以上で生産され、何と2003年までメキシコで生産されていたのです!

そうです。
あのビートルに、新車で乗ることがつい最近まで可能だったのです。

グッドバイ ビートル!(最後のフォルクスワーゲン ビートルラインオフ)

この最後のビートルは、俗にメキシコ・ビートルと呼ばれるもので、メキシコでも数多く愛用されていましたが、聞くところでは、輸出の方が遥かに多かったとも聞いています。

それだけ、世界中の皆さんに愛され続けていたと言えるでしょう。

色々と改良されたりしてはいるんですが、まあ何と長いこと作られ続けていたことでしょう。


ワタクシは、このメキシコ・ビートルに乗りたかったんだよなあ~。

確かBUBU(光岡自動車系ディーラー)が正式輸入していたし、当時200万円くらいだったので、稼いで乗りたかったのです。

今でも、機会があれば乗りたいクルマの一つです。
ああいう味わいのあるクルマは、もう二度と出ないでしょう。

BMWも、M46型以外は乗りたくないし…でも、ビートルには負けるな。


…何だか、今すぐ乗りたくなってきましたよ(笑)。

by uneyama_shachyuu | 2007-12-19 23:07 | 自動車