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正負の法則。

去年の末、最後の練習の時に、久しぶりで道場に出向き、練習したら、左ひざを脱臼しました。

非常に特殊な上段回し蹴りをしようとして、軸足のひざが外れたのです。

すぐ一瞬で整復できたので、歩いて帰れましたが、翌日からは、ほぼ3週間、杖なしでは歩けませんでした。

今は、普通に歩いたり、軽く走ったりすることができます。

しかしまあ。
幾らトレーニングしていても、ひざ周りの筋肉の支えが不足し、捩れの挙動にひざが悲鳴を上げたのです。

また、高校生の攻撃を何とかしのげられる程度の実力の状態です。

まあ、これが現役を外れて、何とか持ちこたえられていると思った、肉体の正体です。


で。
周りからも言われるんですよ。
スポーツ医学の医者のことがどうたらこうたらとかテーピングしたらうんたらかんたらとか。

しかしねえ~。
ワタクシは、色々あって、その道とは違う路線に行くか、全く武道から引退するかを考えるようになりました。


これには、幾つかの理由がありました。


まず、一つ。
体を鍛えるにしても、病院やリハビリ施設の助けを借りるにしても、時間やお金を犠牲にしなければならないことです。

そのようなケアは、今はある程度不自由なく歩けるから日常生活には支障は無いのに、より時間や大切なお金を犠牲にしてまでやらなければならないことなのか?と自問自答してしまうのです。

つまりです。
今のワタクシにとって、生きて行くことの方が、もっと凄い「戦い」だからです。

筋肉が衰えているなら、よりハードに、徹底して色々な方法で鍛えなければならないし、病院へ行くにも時間との引き換えが怖いし、それどころではないというのが正直なところ。

鍛えるにしても、色々とやり方はある筈。
千代の富士関が、方の脱臼癖を克服(結局し切れなかったが)する為に、筋肉の鎧を身にまとうことになったのは、余りにも有名な話ですが、ワタクシの場合、ひざなので、やはりジョギングや様々なランニングによるトレーニングや、ウエイトの機材を使ったものが必要になります。時間もあるので、家に機材を置かざるを得ません。そうすれば、やはり結局お金がかかります。

だったら、自分で満足に動ける体をゆっくりでいいから作れればいいのです。


次に、道場が変わってしまったことでした。

昔は、上段突きも想定した、極めて実戦的な練習をしていました。
しかし、今は、フルコン・ルール(※極真空手の上段への突きは無し・蹴りは有りのフルコンタクト・ルールのこと)で練習しているんですよね。

対戦した若い高校生は、中々の強さです。
しかし、彼には、ワタクシのような現役から外れた者のビンタや上段回しがかする程度は入るのです。

ワタクシは、ある意味、本当に怖くなりました。

何故なら、対戦中、「突きが入りそうだ。なら試しにビンタでも…」と思い、間合いに入って出したら当たるからです。

彼は、本当に上段への突きを食らったことが無いようです。
回し蹴りでの気絶はあったようですが、これは、道場だからありうると言っても過言ではありません。

何故なら、実戦では、早く当てて倒さなければならないので、玄人なら、迷うことなく回し蹴りよりも突きを選択して、一瞬に突いてくるからです。

でも、彼は、ワタクシのビンタには勉強になったと言いながら、多分、ワタクシが感じたような恐怖は感じることがないでしょう。

それに、テーピングがどうとか言っても、日頃、喩え喧嘩になったとして、『ちょっと待って!テーピングするから!』などということはできないのです。

練習には、常に、日常の自分を完全に前提として、実戦を踏まえて練習しなければなりません。

しかし、今の道場には、そういうことではなく、スポーツ化してしまっているような気がしてなりません。


ワタクシの先輩で、凄く強い人が、何年か前に止めていきました。

ワタクシは、その時、寂しいだけでしたが、今は、その人の気持ちが分かります。

「おい、ちょっと違うんじゃないの?」と思っていたらしいですから。

ワタクシにも、それはかなり感じます。



更に、もう一つ。
今回の怪我で、いろんなことを選択できるように教えられたように感じたこと。

つまり、対突き蹴りの訓練は必要だとしても、それも含めて、無理やり治してまたは対処しながら現役に戻るのか、前々から考えていた合気柔術などの柔法の技術の方へ行くか、空手などの他武道で足りないところを補っていくのか、それとも止めて仕事に専念していくのかということを選択できる機会を与えてもらえたような気がしました。

実は、ワタクシは、剛法(突き・蹴りの技)の方がずっと好きで、柔法(関節技や投げ技・絞め技)などは、正直に言うと苦手でした。

しかし、ある時から、正反対になってしまっていたのです。

そいうこともあって、ワタクシは、大東流などを学びたくなっていたのです。

また、他武道の突きや蹴りでも、伝統空手(特に松濤館)の技にも興味があって、良い師匠に学びたくなっていたんですね。


ワタクシにとって、道場の存在はバック・ボーンであるには違いないのですが、守っていくもの、育てるもの、成長すべき自分という目標や存在がある自分自身にとって、今は、逆に壁になっては困るのです。

ワタクシのとって武道が必要な存在でも、もっと凄まじい世間での戦いを考えると、「もっとやらねばならないことがある」と率直に思えました。

とはいうものの、自分自身の成長に欠かせないものですから、やはり色々と考えてしまいます。





今、本当に感じるのは、これは、「何かを得ようとしたら、何かを引き換えにしている」という正負の法則(プラス・マイナスの法則)の最たるものだということです。


ある意味ショックと言えばショックでしたが、怪我して帰る間、『ああ、自分の転換点か卒業の日だなあ』と何故か深く感じましたし、自分で驚くほど、技、特に得意だった蹴り技に執着が薄く、思ったよりもガッカリしていない自分にひどく驚きました。

昔のワタクシからは、考えられないことです。

ですから、自分自身を色々と考えさせられました。



もう少し、体を鍛えながら、やるべきことをやり、自分が本当に必要なときに、何かの縁が与えられるでしょう。

ワタクシたち親子が到達すべきところは、もっと遠いところだと思いたいです。

そして、近いところに、次々に達するべき段階が見えてきているのですから。

その時まで、やるべきことに邁進する事にしましょう。


こういう思いに耐えて頑張って来た両親には、本当に頭が下がりますねぇ~。

by uneyama_shachyuu | 2009-01-24 16:46 | 司法書士編。