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ジョーは生きているのか?

こんな記事を見つけました。

蘇る「あしたのジョー」 挫折に負けぬ生きざま…週刊現代が復刻掲載
2月10日21時26分配信 産経新聞

人気ボクシング漫画「あしたのジョー」が、講談社の週刊誌「週刊現代」に復刻掲載されることが10日、分かった。3月2日発売号から、毎号1話を掲載するという。

同誌の創刊50周年企画の一つで、乾智之編集長は「『あしたのジョー』は、格差や不況で閉塞(へいそく)感が漂う現代社会の究極の癒やし。何度挫折してもまた立ち上がる主人公、矢吹丈らの生きざまが、心身ともに疲れきったサラリーマンにパワーを与えると考えた」と話す。出版不況の中、中高年世代に思い出深い作品を掲載することで、幅広い読者層の取り込みをはかる。

年内は連載を続け、その後の掲載は読者の反応を見て決める。同社によると、週刊誌が名作漫画を再掲載する例は聞いたことがないという。

「あしたのジョー」は昭和42年暮れから48年にかけ「週刊少年マガジン」(講談社)で連載された。原作は高森朝雄(梶原一騎)さんで、漫画を描いたちばてつやさんは「これまで読んでいなかった人たちの目に触れるのはうれしいこと」と話している。



…まあ、出版業界もどうしようもないんだなあ…と思いましたね。

丁度、とあるハリウッド映画を2本借りてきて見た後だったので、あちらの映画業界のソフト不足と同じような感じを受けたところです(※つまり、あちらが何で日本の映画・アニメ・マンガに飛びついているのか?がよく分かるほど、ソフトウェア作りの力が落ちている)。


ところで。
あしたのジョーと言えば、やっぱりあのシーン。

ホセ・メンドーサとの試合の後、眠るように座り込んでいる矢吹丈…

ジョーは死んだのか?生きているのか?

これが、当時から今の今まで議論の的でした。



去年、作者である、ちばてつや氏が語っています。

「ジョー」は生きてる!?ちばてつや、ラジオでポツリ
2008/11/26 12:09更新 ZAKZAK

団塊世代を熱中させた劇画「あしたのジョー」。ラストシーンで真っ白となって力尽きたジョーは「死んだのか、生きているのか」と今も議論になっているほどだ。

「もしかしたらジョーは死んだのかな~、と思いながら描いていた」

こう秘話を語ったのはジョーを描いた漫画家、ちばてつやさん(69)。24日、文化放送「ドコモ団塊倶楽部」(午前11時)に生出演し、連載当時(1967年12月-73年5月)を振り返った。

ちばさんは、ラストシーンで困っていたところ、担当編集者からジョーと紀子のデートしたときのシーンを見せられたという。

≪ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る≫

こう語るシーンが、「あの名場面に結びついた」と明かした。

当時は疲れ果てていたというが、「元気になって読み返したら、ジョーは死んでいないのかな」と思い始めたという。

故・寺山修司氏が呼びかけて葬儀も行われたライバル・力石徹の人気には「実際に描いているときはピンと来なかった」と意外な感想。

「もし生かしていたら、全く違う展開になってもっと面白くなっていたかも」



う~む。
今では、全てを受け入れて話しているのね。

「あしたのジョー」は、原作はあの梶原一騎氏(ペンネームは『高森朝雄』)です。
実は、あのラスト・シーンで、両氏は袂を分かつのです。


梶原氏は、ラストで、座っているジョーに対して、段平オヤジにこう言わせていたそうです。

「ジョー!お前は『試合じゃ負けたが喧嘩じゃ勝った』ぞ!」

その後は、白木葉子の下で静かに暮らす…
ここでラストは終わっていたらしい。

これを見たちば氏は、初めて激怒したそうです。
しかし、ちば氏はそれを押し隠し、「私の勝手にやらせてもらいます」とだけ電話で言ったそうです。

あの梶原氏です。
いつもなら、こんなことを言われたら、多分怒鳴り込んでいたでしょう(※事実、連載開始時、ちば氏の方が『これじゃ導入としては分かりにくすぎるよ』と言って、ドヤ街にフラッときた矢吹丈…というストーリーを勝手に描いてしまったため、梶原氏が激怒した)。

この頃の梶原氏は、原作連載を数本抱える人気作家。
連載当初とは比べ物にならないほど忙しく、もう「あしたのジョー」だけに構っていられなかった状態で、それほどの思い入れが無くなっていたのでしょう。「好きにしろ」と答えたと言います。

しかし、ラストをどう持って行ったらいいかが分からない…


そこで、編集者を含め、スタッフ全員で原作を読み返したそうです。

その時、編集者が「これだよ!!」と持ってきたのが、これまた有名なシーン…

初めてジョーと紀子(ドヤ街の林商店の一人娘)がデートしての帰り。

「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ…
力石だって…あのカーロス・リベラだって、きっとそうだったんだ!!


と叫ぶ、あのシーンです。

これを見た途端、ちば氏とスタッフは、一気に進めて描き上げてしまったそうです。

それが、あのラスト。
だから、あのラストは、完全にちば氏の物と言って良いでしょう。


で、余りにも素晴らしいエンディングで、結局…

ジョーは生きているのか?死んだのか?

という論争が起きたことでした。


BSマンガ夜話でも取り上げられましたが、マンガを描いたことがある人は、多分ちば氏の感じていること、または心の奥底で願っていることとして、「ジョーは生きている」と捉えていると思うんですよね。

というのは、マンガというのは、「上から下」「右から左」へと書くのが確たる文法で、「右→左」は「追いかける」、「左→右」は「逃亡」という文法として用いられるものです(※この原因は、国語の教科書を見れば分かる。縦書き文化の読み方。海外では、左から読む文化なので、完全に左右逆に印刷し直している例が多い。これはアニメでも使われているもので、特に宮崎駿氏のTVアニメは顕著だった)。

このように、あれほどのマンガ家であるちば氏が、この構図を使ったということは、おそらく生きているか、または少なくとも生きていて欲しいという願望の現われだったのではないでしょうか?

現在、ちば氏も生きているものとははっきり述べませんが、数年前の番組では、毒気が抜けたようなジョーと、それを見守る葉子という絵を描いていました。

…これ、結局梶原氏の原作通りなんですよね…



今では、「あのジョーの目は描けない」と度々断言されているちば氏。

あの時代、あの時のちば氏でなければ、きっと描けないものだったのでしょう。

でも、ワタクシたちにとっては、それが、その情熱的なちば氏たちの想いが、丸でタイムカプセルのように残っているのですから。

やはり、本って凄いと思いますよ。


読みにくい…と思う方は、アニメでどうぞ。

ガンダムでもそうですが、テレビ版では長すぎると思う方もおられるでしょうから、映画版もお勧めです。

※女性でも、思い入れがある人が出てくるでしょう。


※映画版では、白木葉子役は壇ふみさんだった。それが、矢吹丈に自分の愛の告白をするシーンで、突然泣き出してしまったため、収録が度々ストップしたという。スタッフと共演者で宥めすかしたとか。彼女曰く、「葉子が可哀想過ぎる…」との事。事実、映画で使われているのは、彼女の泣き声が混じっているものが使われている。そのシーンは、大人になってから見ると、胸が痛むシーンになっている。

by uneyama_shachyuu | 2009-02-11 10:48